2012/11/29

メモ


カタツムリは一年かかって一本の樹をなめつくした。
鳥はその間にいくつもの森を越え世界を廻ってもとの枝にもどった。
 世界はヤハリマルイ…と鳥がいった。
 世界はスパイラルな味だ、とカタツムリがいった。
 視力のない思想というのは困ったもんだと鳥は思った。
 ひとつの季節しかみないジャーナリズムというのは困ったもんだとカタツムリは思った。
(辻まこと)

弁当食べたり、最初の一線を書くのを恐れたり


会社へ行った。
来客の時にもらったおみやげを、もらった。
和菓子は好きだ。
今それを前にここにいる。

ここ数日、思考のいったりきたりを繰り返し、
そしてとうとうスマートフォンを買ったので、その難しさに悪戦苦闘していた。
携帯に時間をもっていかれるのは、なんとも悔しい。
でも、それよりもとても難しい。

やりたいことがたくさんあって、
今やらなくてもいいどうでもいいこと(実はどうでもいいことではないこと)を
一生懸命に考えていたりする。
メモをしたり、そのメモがなければそもそも何を考えていたのか忘れたり、
図書館にこもったり、弁当食べたり、最初の一線を書くのを恐れたり、
そんな日々。
汚れでもいい。
染みでもいい。
きっかけはなんでもいい。
形を見つけるヒントになればそれでいい。


12メートルの紙の前に立ってみた。
こんなに大きいものだとは思わなかった。
言い換えれば、自分がこんなに小さいものだとも思っていなかった。
この体から、言葉(のようなもの)を見つけて、腹の底から搾り出すように
線を書き付ける。
これ、できるのだろうか。
この長く延びる12メートルを何本も書ききれるだろうか。
自分が入っているこの体を顧みて、途方も無い気持ちになった。


影の映像をつくりたい。
もう頭ではできている。
ただずーっと僕の手の影が、何かを書いている。
光で書くことも試したい。
最後は本もつくりたい。
心の言い訳を少なくしたい。


湯が沸くこと
肥えた土


明日は善人でありたい。


2012/11/22

落し物を拾わない>それはあたらしいわたし


今日は書いてはいない。
会社へ行った。
おかしなことだけど、久しぶりにデザインに触れた。
デザイン学科にいながら、デザインの輪郭線上にいる僕たち。
仕事に行くと、真ん中に触れる。

夜の僕はとても善人なので色々と考える。
最近あったこと、昔のこと、今のこと、制作のこと。
わ、素敵、やっちゃいなよそれ、ということが幾つも思い浮かぶ。
でもだいたいのものは翌朝の悪魔の自分に潰される。

たくさんのものがあっても、
やはりそれを全部見ることは無理だし、忘れるようにできている。
たまに大切だった本当のことまでも忘れている。

最近気付いたりやめたり、相談したり後悔したり、
決心したりその決心をやめたり、そんなことばかり。

形を作らないぞと決めて、
先生にやってみてもいいんじゃない?って一言言われればそうかもー
とか思うこんな自分。
決めたりやめたり、それすらもう辞めてしまえばいいのではと思った今日。
そうしたら、次の道が見えてきた。
花畑を見つけたようだ。

私はクッキーにでも珈琲にでも、
iphoneにでも大きな家にでもなんにだって素晴らしい字が書ける。
しかしその素晴らしさはほとんどの場合自分にしか分からない。
雨のように私の素晴らしい文字が空から降ってくればいいのだ。
そして皆は真っ黒になり、私は傘をさしてそれをみるのだ。


・アルミホイル
・横断歩道
・帰り道の長い線
・ビニール、木、布、紙
・天井は低い
・髪
・素晴らしい鏡
・ピカソの光
・落し物を拾う>届ける>見つかる
・落し物を拾う>持ち帰る
・落し物を拾わない


2012/11/21

肌の後ろ側


決心をしてから、何人かの教授に報告をした。
文字で形を作ることに違和感を感じていること、おにぎりは違うと思っていること、
自分の好きな文字を探したいこと。
修了制作は文字が降ってくるような壁にしたいこと。

担当教授は分かったのか分からなかったのか、
僕にはよく分からなかったけど、話を聞きながら大きくうなずいたりしていた。

他の教授に言われたことで印象に残ったいくつかのこと。
まだ色々と決めない方がいいという提案
分からないままでもいいということ
言葉にしなくてもきっといいこと
書く媒体は紙だけとは限らないこと
ライブ
プロジェクションの可能性
桜吹雪の物凄く大きいもの
形というものも一つは入れてもいいのでは

など。

まだまだこれから。
もっと遠くを見てみたい。





2012/11/19


糸を繋げば、糸になると思っていたけど、どうやら違うらしい。
糸そのものよりも表現に圧倒的な比重があって、
あ、やばい と思う。
頭の枠にすぐに引き戻される。
表現なら表現に転んでしまえばいいのに、
中途半端に残っている。
あ、やばいって何がやばいのだろう。

紙が大きくて窓枠に吊るしている。
朝が始まる薄明かりで紙も墨も透けていてきれいだ。

作品として見たら、まだまだ。
腕が落ちた。
小さく書いていた時よりは、
何か良くなったように思う。
今までは形をなぞる、ようやく書くということに近づいてきた。
今日はゼミ。
きっとよく分からないと言われるのだろう。
負けないことだ。折れないことだ。
本当の言葉を話すことだ。

2012/11/18

僕は誰よりも見たがっているということ

来てはいけないところへたどり着いたのかもしれない。
もしかしたら違うかもしれない。
でも、すとん とおさまる場所を見つけた。

僕はただ、いい文字やいい線が見たい。

うまい文字ではない。美しいだけでもない。
人が、あの人はいい人だとか言う、
そういうところ。
いい文字や、いい線を書く人になりたいだけだ。

今までどうして言葉に興味がないのかわからなかった。

いつからか、何を書いているのか、何を書くか、
という問題は自分の中でそう大きなことではなくなった。
いつかの自分を想うと、まるで別人だと思う。
だから、僕はどこかに言葉を置いてきてしまったのだと思っていた。
言葉を失ってしまったのだと思って、探さなくてはいけないような気がしていた。
でも、なんか違うと思っていて、
そのなんかがずっと分からなかった。

自分の文字を信じている。

だから、いい文字というのは自分の中から出てくると思っている。
もちろんたまらない文字は外にもある。
ただ、自分の中にもあって、それを単純に見たいから、
きっと書いているんだと思う。
最近森と書いていた理由もわかった。
森が好きなわけではない。
ただ、自分が見たいような、いい線やいい形が、
森の字からは生まれやすいと感覚で気づいたんだと思う。
だから、ずっと書いていた。
でも理由が分からなかったから、
なんか見せ方を考えて作品に見えるようにしたり、
何か発見したような振りをしていた。
ゆき もそうだ。
ゆ は、形として空気を含みやすい。
だから、気持ちがいい形になる。
線の傾きを変えれば、いくらでも下に続けられるし、
斜めにもいける。別に「ゆき」そのものが好きなわけではない。
でも分からなかったし、何か見つけたようなことをしなくちゃ、と思って、
色々作った。雪の光景が好きなことには嘘はない。

いい文字を探したい。

いい文字を書きたい。
見てみたい。
しかも、自分の中から生まれるもので。
あー
まずい。けど仕方ない。
他人の自分が、他人の自分の文字のファンなのだよ、きっと。
厄介なのは、自分の体は一つだということだ。

コミュニケーションとか一切ない。

他人に伝えようなんて気がまずない。
あーそうか。だからか。
自分で書いて、自分で見つけて、自分で反省している。
自己反省、自己完結。
あー、ね。
もう仕方ない。これそのまま出すしかないし、
この二年の研究って、そういうことだったのかもしれないと思うと、
全部繋がる。

「僕はいい文字が見たいから自分で書いていて、ずっとそれを探していて、
たまに見つけてクーってなって、また探し始める。
それはこれから先もずっと続いていくんです。
今までの実験は、全部いい文字を見つける、書くためでした。
文字を使って別の何かを見出そうとしたり、
発見しようとなんかしていませんでした。
それに気づきもしないで、何か発見しているように、
「見せ方」で見せていました。
だから、おにぎりもたぶん、たまたま出てきただけで、
全然自分のものではありません。
あれたぶん他人の自分のものです。
大きいおにぎりは確かにおもしろいと思うし、
海苔を小さい文字で書くことによって、
一瞬では終わらない、「時間をかけたつもり」の作品を作っただけでした。」

だからずっと違和感があったのか。なるほどー。

ってことは、修了制作、何書こう。
言葉に興味はないから、いい形が生まれやすそうな文字、になるのだろう。
それをまずは探して。
これは誰にも分からないんだから、
自己反省自己完結をそのまま書きだすか。
ノートも全部見せて、それすら作品にして。
文字の横には自分の注意事項。
これはいいだの、これはたまらない、だの。
これはあまり良くないだの。
ここを見てくれ、というのも全部自分で設定して。
講評で説明をしすぎている、って既に言われてたな。
うーんそうかどうしようかな。
何も書かなかったらそれはそれでコミュニケーションが、とかになるしな。
でもそこを気にしたら次はアーティストとしてどうか、とかなるし。
まあそこはいい。
とにかく大切なことは、僕は誰よりも見たがっているということ。

2012/11/17

糸 跡 今日

できれば大きなものが仕上がるまで、
毎日のことを残していきたい。
制作日記とまではいかなくても、
跡をここに。

今日は糸を書く実験をした。
糸という形を使って、言葉を編めないものかと考えた。
まずは物の形ではなく、糸そのものの形を書いてみることにした。
文字は細かく、糸の流れを追って形を作ったらうまくいかなかった。
すっごく悪いわけではないけど、良いとは言えない。
眺めてみてもやっぱり良いとは言えない。
とても困った。
でも、一回でうまくいくなんて考えちゃいけない。
実験は何度も失敗するものだ。

友人が、糸の文字を大きくしてみてはどうかと言った。
今の僕は何か探すのに必死。
可能性があるならば、なんでも試してみる。
助言を有り難く受け止め、明日はこちらを試す。

自分の制作の展望や夢は何かと、
今日の授業中に聞かれた。
それを持てば、きっと先は見えてくると。
自分はどうしてこういう実験を繰り返しているんだろう。
どうして文字の反復や増殖を繰り返すのだろう。
ねえどうして?
たどり着きたい場所はどこにある?
どこに向かおうとしている?

今日の実験で、
糸の癖で丸くなってしまうところ、
そのねじれと重なりを書いたらきれいだった。
少しだけよかったこと。
きっと何かある。
気になる、の先のこと。
全部集めた時に見えるもの。
あるよね?
ないのかな。それは困る。

たまに好きな作品を眺めること、
いいなあと思うものを見つけること。
そんな息抜き。

明日も明後日も実験をする。
何か見つかればいい。

2012/11/16

点ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー点


本当はこんなところに書かなくてもいいことだし、
公開なんてしなくたっていいことだ。
ブログって一体なんだろう。
公開していることって一体なんだろう。
ただのメモでもない、
ただの発言だけでもない。

最近冷めた珈琲はレンジでチンしている。
チンしている、チンする あれこれいつから音が言葉に変わったんだろう。
まあいいや。
その冷めた珈琲が温まったので次へいきます。

今自分はデザインをするために分野を飛び越えてここへ来た。
デザインって楽しいな、うれしいな、難しいな、でももしかしたら、人生の中で大切な存在になるかもしれないな、
と思ったからだ。
とにかく、デザインってなんだろうと思っていた。
あれから二年が経とうとしている。
この二年はとてもこわい二年だったし、勇気のいる二年だった。
でも、思い切ってここへ来てみて良かったと思う。

修了制作に向けて、最後の大きなプレゼンテーションがあった。
ここに来て、大きな迷いが自分の中にある。
答えを見つけられずにいる。
それは全てばれているし、とにかく自分にも嘘をついてごまかしている。
プレゼンテーションの講評は、デザイナーというより、なんとなくアーティストへ向けてというようなものだった。

大学院ではこれまで文字の反復と増殖、立体、そのようなことを中心に実験をしてきた。
作品をつくるということより、実験をしているという気持ちでいた。
同じ手法をとることから、次の段階へ上がること、
説明をしすぎていること、
どうして自分が制作をしているのか分かっていないこと、
全く別の分野の人が見ても、飛び越えられる物をつくること、
本当は言葉で説明できないようなことをやっているはずなのに近くにある言葉をくっつけてしまっていること、
手法は説明をしやすから、そこを目立たせることで核心をぼやかしているのではないのか、
自分でフレームを作っている、
同じコミュニティの中だけで完結させてしまっている、
自分の作品を肯定してしまっている、
もう人の意見は聞かないこと、自分と向き合い、本来の自分を大切にすること、
などの意見があった。

そう、今までごまかしてきたところ。
後一ヶ月に迫った今、そこと闘わなければいけないこと、
とてもこわいし、見つかるのか分からない。
ただ、次の為に、自分がここを卒業し、それでもまだ続けていく為に。
次の糸を見つけなければいけない。

文字 文字 文字
文字ばかりに自分をむりやりくっつけて、
自分にはこれしかないんだと決めて、
挑戦することもやめて、
人との距離を測り始めて、


勿体無いと言われる。
このままでは勿体無いと。
勿体無いとは何だ。
まだ、分からない。

2012/11/10

例えばきれいな箱があったとして


大きいものがあったとしても、僕はそれを使いこなせない。
臆病で、人のことばかり思う。
決まりごとを自分のなかですぐに作る。
やめたい。
でも、大きな決まりごとをつくる。

例えばきれいな箱があったとして、
僕はそれを汚せない。
本当はこれに自分の文字を書いてみたいと思っても、
自分の筆を下ろすことができない。

単純に 今 気になるものを作りたい。
なのに、気にしていることは別のところにある。

ポスターの話をしたときに、僕はポスターといえばこれ、という形とすぐ想像する。
こういうもので、こういう余白があって、それで大きさはこれで。
4つ作ったとしても、並び方を考えるくらいで、
紙の大きさが全部違う物があってもいいなんて到底考えられない。
僕はそこにまだ辿りつけないでいる。
お金がないから、紙は決まったもので、印刷はインターネットで注文。
それ以上進歩がない。
やめたい。
やろうと思えばいつでもできる。
その中で本当にやってのける力。

ほしいものが山ほどある。
捨てたいものが山ほどある。


2012/11/06

尊敬する白クマと話すこと


大きなものを書き始めた。
昨夜の「考えて何もしないのは作家でもなければデザイナーでも、何者でもない」
との衝撃的な発言を受けて、のろまな自分はようやく腰を上げた。
そういう意味ではとても有り難いことばだったけど、
それでもとてもショックを受けた。

周りは着実に進んでいて、自分はここに残されてしまったように感じる。
書くための拠り所を探し続けてきたわけだけど、
確かに作家でもなければデザイナーとも呼べない何ヶ月だったと思う。

デザインとはコミュニケーションだということは
なんとなく理解はしているけれど、
実際にはなかなか着地できない。
ヒントのようなもの、
相手が何かを見つけるヒントを、
紙の中に事前に置いておくことだと白クマは言った。
君と君の文字の関係は、君にしか分からない
見る側はそこを測れない。
だから、自分が気に入っているならば、そうか、それは良かったね
というしかできないんだよ
と。

とにかく書くことだと。
書いて書いて書きまくってから、
その景色を眺めるくらいであるべきだと。
分かった。
そうする。
今はこれからの長い作家生活の、ほんの一部、ほんの一瞬なのだ。
そのための、今なのだ。
そのための卒業なのだ。


2012/11/04

完成は間近


あの時自分は何を思ったのだろうと、
ふと前のものを見返してみた。
そうしたら、あの時の気持ちの輪郭はこの胸にあっても、
あの時の文章はここにはなかった。
そうか、意外とここには書いていないのか。
僕は言葉を探していた。

ヒントはあったが、答えはなかった。

あの時、自分は何を感じて、どんな言葉を持ったのだろう。
今、何を見つけたいのだろう。

雪の日のことを思いながら、
雪と人のポスターを作っている。
もう一つ、磁石のような人、という題名で文字が体にくっついてしまう人のポスターも。
完成は間近。