2012/11/18

僕は誰よりも見たがっているということ

来てはいけないところへたどり着いたのかもしれない。
もしかしたら違うかもしれない。
でも、すとん とおさまる場所を見つけた。

僕はただ、いい文字やいい線が見たい。

うまい文字ではない。美しいだけでもない。
人が、あの人はいい人だとか言う、
そういうところ。
いい文字や、いい線を書く人になりたいだけだ。

今までどうして言葉に興味がないのかわからなかった。

いつからか、何を書いているのか、何を書くか、
という問題は自分の中でそう大きなことではなくなった。
いつかの自分を想うと、まるで別人だと思う。
だから、僕はどこかに言葉を置いてきてしまったのだと思っていた。
言葉を失ってしまったのだと思って、探さなくてはいけないような気がしていた。
でも、なんか違うと思っていて、
そのなんかがずっと分からなかった。

自分の文字を信じている。

だから、いい文字というのは自分の中から出てくると思っている。
もちろんたまらない文字は外にもある。
ただ、自分の中にもあって、それを単純に見たいから、
きっと書いているんだと思う。
最近森と書いていた理由もわかった。
森が好きなわけではない。
ただ、自分が見たいような、いい線やいい形が、
森の字からは生まれやすいと感覚で気づいたんだと思う。
だから、ずっと書いていた。
でも理由が分からなかったから、
なんか見せ方を考えて作品に見えるようにしたり、
何か発見したような振りをしていた。
ゆき もそうだ。
ゆ は、形として空気を含みやすい。
だから、気持ちがいい形になる。
線の傾きを変えれば、いくらでも下に続けられるし、
斜めにもいける。別に「ゆき」そのものが好きなわけではない。
でも分からなかったし、何か見つけたようなことをしなくちゃ、と思って、
色々作った。雪の光景が好きなことには嘘はない。

いい文字を探したい。

いい文字を書きたい。
見てみたい。
しかも、自分の中から生まれるもので。
あー
まずい。けど仕方ない。
他人の自分が、他人の自分の文字のファンなのだよ、きっと。
厄介なのは、自分の体は一つだということだ。

コミュニケーションとか一切ない。

他人に伝えようなんて気がまずない。
あーそうか。だからか。
自分で書いて、自分で見つけて、自分で反省している。
自己反省、自己完結。
あー、ね。
もう仕方ない。これそのまま出すしかないし、
この二年の研究って、そういうことだったのかもしれないと思うと、
全部繋がる。

「僕はいい文字が見たいから自分で書いていて、ずっとそれを探していて、
たまに見つけてクーってなって、また探し始める。
それはこれから先もずっと続いていくんです。
今までの実験は、全部いい文字を見つける、書くためでした。
文字を使って別の何かを見出そうとしたり、
発見しようとなんかしていませんでした。
それに気づきもしないで、何か発見しているように、
「見せ方」で見せていました。
だから、おにぎりもたぶん、たまたま出てきただけで、
全然自分のものではありません。
あれたぶん他人の自分のものです。
大きいおにぎりは確かにおもしろいと思うし、
海苔を小さい文字で書くことによって、
一瞬では終わらない、「時間をかけたつもり」の作品を作っただけでした。」

だからずっと違和感があったのか。なるほどー。

ってことは、修了制作、何書こう。
言葉に興味はないから、いい形が生まれやすそうな文字、になるのだろう。
それをまずは探して。
これは誰にも分からないんだから、
自己反省自己完結をそのまま書きだすか。
ノートも全部見せて、それすら作品にして。
文字の横には自分の注意事項。
これはいいだの、これはたまらない、だの。
これはあまり良くないだの。
ここを見てくれ、というのも全部自分で設定して。
講評で説明をしすぎている、って既に言われてたな。
うーんそうかどうしようかな。
何も書かなかったらそれはそれでコミュニケーションが、とかになるしな。
でもそこを気にしたら次はアーティストとしてどうか、とかなるし。
まあそこはいい。
とにかく大切なことは、僕は誰よりも見たがっているということ。

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