skip to main |
skip to sidebar
目を閉じること、耳を塞ぐこと、
逃れるためでもあるが、
そうすることによって
きっと逃してしまっていることは多いんだろうな
と 思った今日。
音楽や、話し声や、自分の中の私の声までも。
時には全て止めて、私は私になりきりたいと思う。
私は私だと思い込んでいるだけで、案外何者でもないし、
明日私は今日の私ではないかもしれない。
最終電車に乗り、本を読んだ。
私は本があまり好きではない。
日々から少し差し引くことを学んだ。
確かに、少し足りないくらいがちょうどいい。
―
私は今日泥について考えた。
ほんの一分程、泥、泥、どろ、どろ、どろ
と、頭の中で響かせてみた。
そうしたら、大切にしたいつもりのようなものが出てきた。
―
せめて、私の手や文字は泥くさくありたい。
あなたの手はきれいでいい。
私は泥が好きだ。
日々の生活から少しだけ差し引くことを考えながら、
また私はパスタを茹で過ぎるのだ。
(『手の中の泥、私の星』6頁)
素描には、本画の準備としての草稿や下図、日常の折折に出会った事物の心覚え、それ自体で作品として制作されてもの、という三種がある。
有元利夫は、本画にせよ作品としてのデッサンにせよ、その直接的準備としての下図や草稿を作らない。制作に当っては、計画なしに、ぶっつけ本番で、気分が乗るに委せて遂行する。
という事は、自分の中に前もって蓄積されている記憶や勘に頼って制作するという事だ。人間は、無から有を作り出せるように出来てはいない。自分の中に蓄積されている何らかの有があるから、その有が作品となって現れるのだ。(瀧 悌三)
「素描」
彩色よりも線に重きを置いた描法である事が、素描の最低限の資格となっている
これはあなたの手帖です
いろいろなことがここには書きつけてある
この中のどれか一つ二つは
すぐ今日あなたの暮らしに役立ち
せめてどれかもう一つ二つは
すぐには役に立たないように見えても
やがて心の底すかく沈んで
いつかあなたの暮らし方を変えてしまう
そんなふうな
これはあなたの暮らしの手帖です