2009/10/01

じいちゃん ばあちゃん

僕の家は昔ながらの、少し堅いものだと思います。
家というか、家族が、というか。


じいちゃんが中心に、この鎌村家が成り立っています。
こんなことを言うときっと父は怒ると思うけど。


でも実際はそうです。
じいちゃんは質実剛健そのもので、
昔の写真を見ると、それはもう、怖そうで。
剣道も強く、酒も強く。
僕の生まれた町はとても小さいところで、
その町の中心で、活性化のために身を削ってきました。
だから歩けば色んなひとが挨拶しに来ます。


でも、歩けません。
視力もほとんどなくなり、足もダメになり、この夏からずっと入院しています。


小さい頃の僕は、
とても嫌な子供だったと思います。
子供らしくない子供で、
いつも頭の中でいろいろ考え、
大人はこうすれば喜ぶんだろ、ってどこか冷めたところがありました。
じいちゃんにも、ばあちゃんにも、とてもきつく当たったと思います。


今だから、
家族というものがどういうものなのか、
分かる気がします。


そして、今だから、
じいちゃんも、ばあちゃんも、そう永くはないことが分かってしまいます。
この夏、二人の生命の力が、とても弱くなっていることを知ってしまいました。
ほとんど自分では何もできなくなっているじいちゃんを看病するため、
ばあちゃんは付ききりで病院にいます。
このままではばあちゃんまで悪くなるからと、家に連れて帰れば、
容態が気がかりで、じいちゃんのところへにすぐに帰ろうとする。
きっとそうやって今までも二人寄り添ってきたんどろうと思います。


さっき母親と電話をしたら、病院ばかりにいるあまり、ばあちゃんの痴呆が始まってしまったということ。


実家に帰ると、僕はいつも償いの気持ちでいます。
そして二十歳をすぎてやっと、家族を愛おしいと思えるようになった。
遅いのは分かってる。
だから今何ができるのかと、とても考えます。


去年のこと。
夏前に、家族7人が東京に集まりました。
最初で、きっと最後のことです。
その時、初めてみんなできちんとした写真を撮りました。
その時、じいちゃんは勲章の授与式があり、
自分の足ではたてなかったけれど、車いすで堂々、授与式へ向かいました。


とても楽しみにしていたのです。
一年も前から、こうして東京に来ることを、そして家族が集まることを、
じいちゃんとばあちゃんはとても楽しみにしていました。


家族の願いでもありました。
どうにか、この授与式にだけは行かしてあげたい。


僕はすぐに泣くので、
赤坂のホテルに家族が揃ったとき、
涙があふれてしまいそうだった。
ホテルの40階で夜ご飯を食べたとき、
眼下に見る景色に、ばあちゃんは目を丸くして喜んでいました。


後日、写真が届きました。
家族7人、すっかり大人になった僕たち3人姉兄。
父、母、みんないつもとは違う格好で、
ばあちゃんはいつものお澄まし顔で、
写真に写っていた。


実家の和室には、その時の勲章と、ばあちゃんが前にもらった勲章が並んで飾ってあります。


夫婦でもらうのはなかなかなんだぞワハハと
とてもうれしそうにじいちゃんは言っていました。


僕は誇りに思っています。
じいちゃんも、ばあちゃんも、
父、母も。
姉、兄のことも。
僕は誇らしいです。


11月の頭に、学校の連休があります。
その時、また徳島へ帰ろうと思っています。


そのまえに、病室で暇を持て余しているだろうばあちゃんに、
手紙でも書こうかと思います。


母との電話を切って、どうしても不安が体をめぐって、
はけ口としてここに書いてしまいました。


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